2013年11月5日火曜日

亀岡街道踏切と夜間線路工事/2013年10月

先日夜間の撮影後、ワンドから淡路へ向う途中に亀岡街道踏切付近での工事が目に留りました。
最終列車が通過してから行われているようで、踏切向こうの築堤に工事用の非常に明るい照明が付けられ、その光の端っこが鉄橋のトラスにも当たっていました。



溶接の火花と煙が立ち上り、あかりに照らし出されて幻想的でした。


いつまでも眺めていたかったのですが、体力とも相談です。
鉄橋を渡り、北詰から工事の様子を拝見しました。
築堤に鉄板を入れているようです。鴫野駅、野江や旧都島信号場の現場でも同じような工程がありました。




工事のライトが鉄橋のトラスに被ってしまい、ややこしかったので朝4時頃に改めて。
亀岡街道踏切から。




10月半ば頃からは、所々にしか点灯していなかったナトリウムランプが全点灯され、淡路から赤川/大東町へと渡す黄金の道となっていました。

〜そう、まだ木道でDD51が走っていた頃、夜の赤川仮橋を撮ってみようと無謀なチャレンジをしたことがありました。

 日中でもその古びた板が割れたり釘が浮いてぺこぺこしていたり、隙間から見える淀川の流れに吸い込まれそうで、ひとあしひとあし踏み出すその時にミシミシと軋む音には恐怖でビクビクしていたものです。それが夜となると恐怖は倍増で、ナトリウムランプもその頃はトラス四つに一つ点いていたかどうかという程度で、次の灯りの下へ進むまでの距離が非常に長く感じました。そんなへっぴり腰でしたから、橋の途中で立ち止まっていると何かに間違われたようで「大丈夫か?!」と声をかけられた事があります。

私にとっては「夜の赤川仮橋」は恐怖そのものでしたし、それ以降も中々足を運ぶ事がありませんでした。

 鉄板に敷き変わった事は安全面としての配慮で当然のことでしたし、勿論私自身も渡りやすくなったため、夜間の撮影にも落ち着いて取り組めたのは否めません。しかしどこかであの危うい木道だったころが本来の姿だったなぁと思うし、たまにしか渡らない俄ものを怖じ気づかせる無言の圧力でさえ「赤川仮橋」の魅力だったと、思い出すのです。

2 件のコメント:

  1. 私は木道だった頃を知りませんが、先日の来訪でワンドからローアングルで覗かせていただき、その頃を思い浮かべることはできました。
    その頃に来てみたかったですね。
    赤川の橋の上での、あの酷暑の日の一瞬の涼しい風と、梅田の高層ビルを見たことは私も忘れません。

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    1. 暑い日には川を渡る風が涼しく、紫外線でかすんでも梅田ビル群が眺められる橋の上からの景色。懐かしく思います。

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